3月のしおり イタリアのペットボトルアート

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イタリアのミラノに暮らして、そのいい加減さにウンザリしてくると、どうしてこんな国が先進国なのか、心底不思議に思えたものだ(ミラノで乳がん切りました/七章)。

南イタリアのバーリで孫が通っていた保育園も、木の多い庭が広くてステキな雰囲気だったが、市の監査で、施設の面積に対して園児の人数が多過ぎるうえに、厨房でマズイ菌が検出されて、閉鎖を命じられた。たまたま某大企業の社員の子が園にかなり在籍していたので、その企業は資金提供を含め、種々の援助を申し出た。それにもかかわらず、園長が何もせずにソッコー姿をくらませたのには、親も先生もあ然とした。

大混乱である。

たぶん園長にはほかにも後ろ暗いことがあったのだろう、との噂(うわさ)だった。「イタリアやねぇ」と、息子夫婦とわたしたちはため息をついた。

園児の大半は急きょほかの園に移り、残った先生の一部は必死に次の施設を探して、一時教会の建物を間借りした後は、つてを頼ってサッカークラブの施設に移った。

そんな「超いいかげんな」極小の保育園なのに、イベントで写されたスライドは実に美しかった。幻想的な色合いといい配置といい、魅せられる。「そうか、これだ。この芸術的美しさでイタリアはお金を稼いでいるのだった」と改めて思わされた。ファッションだの工芸品だのは世界一流だ。しかもよく見れば、材料はペットボトルの底。廃物利用でお金はかかっていない。

イタリアの欠点と底力(?)を思い知らされた気分である。

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