10月のしおり 茗荷の花

各月のしおり 文化・スポーツ 料理・食べ物 自然・動物・農業

花が咲いた茗荷(みょうが)を食卓に飾る。

母がしていたように。

庭に生えた茗荷の「子」をとってきて活(い)けておくと、二、三日して花が咲くのだ。花が咲いた後の茗荷は味が落ちていて、食べるのには向かない。もっともそれを言うなら、あの独特の香りと刺激感は、蒸し暑い梅雨から炎天の真夏にかけてこそ味わいたいものなのだが、残念なことにわが家でも実家でも、茗荷は秋になってから生えてくる。

茗荷に花が咲くことは知らない人のほうが多いだろう。わたしも母のおかげで知った。その可憐でひそやかな風情を食卓で愛(め)でるとは、俳句ときれいなものを愛した母らしい楽しみ方だったと思う。母の生前はけんかばかりしていたが、亡くなって十数年がたつと、いい思い出がしみじみと蘇(よみがえ)る。そして、母が今もわたしの中に生きているのだと、改めて感じられる。

茗荷の花を眺めていると、ひょっとして私の詩の「繭」(http://madoka-jinsei.net/pdf/poem/poem_01.pdf)の花は、大きさや色は違っても、この茗荷の花のイメージがどこかベースとなっているのかもしれないことに気づく。両親は若い頃から俳句を愛し、自宅で句会を数十年主宰していた(http://madoka-jinsei.net/pdf/milan/Milan_14.pdf)。わたしは俳句はつくらないが、詩は書く。そこにほぼ必ず出てくる花鳥風月には、季節感を大切にする俳句がずっと身近にあった、わたしの実家での生活の影響があるのかもしれない。

折しも、今月は父の三回忌。両親を偲(しの)ぶにふさわしい。

You Might Also Like

No Comments

メッセージをどうぞ / Leave a Reply

*