筍掘り その2

料理・食べ物 自然・動物・農業

山から採ってきた筍は、家に持ち帰るとすぐに全部皮をむき、庭先にかまどをしつらえて茹(ゆ)でる。

農家には古い道具が残っているもので、こんな羽釜(はがま)を今時見ようとは思わなかった。米なら3升は炊けるだろう。大量の筍を茹でるのには重宝。羽釜の「羽」は、釜の中間にある、ぐるりと周囲に突き出した円周部のことらしい。これがないと釜が下に落ちてしまうから、先人はうまい工夫をしたものだ。

火を焚(た)くのがなかなかおもしろい。

キャンプファイアと同じで、まずはクシャクシャにした新聞紙と小枝を入れて火をつける。今回は、柄の折れた竹ぼうきもつっこんだ。うまく炎が上がったら、太い枯れ枝や廃材を足し、強火で水を沸騰させる。その後は弱火でじっくり20分。

慣れた亭主殿が最初は火を焚いていたが、3年ほど経つと、物好きなわたしのことで、やってみずにはおられない。しかし「見る」と「やる」とは大違い。炎がすぐにはあがらずに煙るばっかりだったり、すぐに消えたり。今年はやっとコツがわかって順調にいったので、ひとり鼻高々。

ゆらめく炎はきれいだ。

輝きが強くなったり弱くなったり、高さも上がったり下がったりしつつ、ふとそよぐ。ガスの均一の火にはない美しさだ。近所の消防署員も言っていた。「僕らは火を消すのが仕事じゃけ、こねぇなことを言うたらいけんのじゃけど、火が燃えちょるのを、あぁきれいやなぁ、と思うて見ちょるこたぁありますね」

暖炉や薪ストーブに人気がある理由の一つが、この炎の美しさじゃないかと思う。放火犯がハマる理由も。原始人もこうやって毎日火を焚いては、炎を見ていたのかなぁと、ふと悠久に想いを馳せる。

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