冬の日暮れ時、西の空低く山のすぐ上で白く輝いていた木星が、気がつくと高くなっている。
時が経ったのだ。
モンゴルからアラブ、ヨーロッパにかけては牧畜が盛んだ。羊飼いは夜に羊の番をしながら星を眺め、「これは犬に似ている」「あれはひしゃくの形にそっくり」と片端から星座の名前をつけたらしい。彼らもやっぱり、星の位置の変化で時の流れや季節を感じていただろう。
ピラミッドを築いたアフリカのエジプト人や中米のマヤ人は、天文学が優れていたらしい。彼らが二千年前、四千年前に夜空の星を眺めていたようにわたしも夜空を眺めているのかと考えると、気持ちがゆったりとしてくる。
今年初めて蛙がケロロケロロと透明感のある声で鳴くのを聞いた。燕も早々とやって来た。
春だ。
家の前では、年末から白い小さな花を咲かせていた香りのいい日本水仙に代わって、赤い木瓜(ぼけ)と黄色い ラッパ 水仙が鮮やか。
やっぱり春。
春がきたんだ。
いろいろあってこの半年ほどなんとなく鬱っぽい気分が続いていたが、暖かくなって鶯が鳴き始め、緑の草が増えて景色が華やいでくると、気持ちも華やいでくる。
たいていの人は自分や家族の中に、お金や心身の健康、仕事や対人関係なんかの問題を何か抱えているだろう。そんなトラブルは、なかなか短期間でスッキリと解決しはしない。時に自分をなだめながら、気長につきあっていくしかない。
現代も四千年前も、地球のどこでも、それはたぶん同じ。
辛いことがあっても、寒い冬があっても、春はくる。枯草だらけの風景の中に、花は咲く。いずれはまた凍える冬がくるにしても、いやそれだからこそ、花は美しく、春は光輝き、人は春を愛してほほ笑むのだろう。
2 Comments
S S
2020年3月28日 at 9:34 AM相変わらずの詩的な言葉での心情の吐露。
元気をだして。
娘がようやく卒業しました。博士学位も取得して。次なるポスドクのポストも受け入れ先さえ見つければ、研究費は文科省が出してくれるという恵まれた状況にもかかわらず、ポスト先を探そうともしない(と私の目には映る)。
彼女の自立を心から祝福して、見守るだけに徹するべきなのに、子離れできない親なのだ。
madokajinsei
2020年5月25日 at 4:08 AMSSさん、いつも投稿ありがとう。
あなたの「元気をだして」の一言がジンときました。
嬉しかったです。
鬱っぽかった気分は、その後天気のいい日にドライブして叔母を訪ね、思いきりお喋りしたらずいぶん軽くなりました。
成人した子どもは同じ大人として対等に扱わなければ、と思っても、腹が立つとついつい上から目線で話をしてしまって、後悔するのはわたしも同じですよ。
夫から「もう少し冷静になって物を言ったら」とたしなめられています。
これからもよろしくね。
まどか