子どもの頃わたしが住んでいたのは住宅街だったが、小学校は田んぼの真ん中にあった。通学路も田んぼの間に延びていて、「後ろから見るとランドセルが歩いていくような」と言われるほどチビで小柄だったわたしにとって、片道3.3キロを歩いて学校まで通うのは大変だったが、田んぼだらけ、という風景は珍しくて好きだった。そして6年間歩くうちに、空と山と田んぼ、というのがわたしの原風景になった、と言ってもいい。
6月になると、その風景が変わる。田植えが近づいて、どの田んぼにも水が張られるのだ。小学1年生のわたしに、その変化はとても新鮮だった。
しかも、わたしが田んぼを眺めながら歩いていると、水の表面に写った家や木の形や角度が、刻々変わっていくではないか。
「あれ、歩きよる(歩いている)と違うて見えるよ? なんで(どうして)?」
不思議に思って、試しに前を向いたまま後ろにポツポツと歩いてみると、水に写った家や木は、今までと逆の形や角度に変わる。
「うん? 反対だ」
今度は前に歩いてみると、後ろ歩きしていた時と逆向きに風景は変化する。
「また違う。最初と同じなのかな?」
こうして何度も、前に歩いたり後ろに歩いたりしていると、追い抜かしていく近所の上級生から「まどかちゃん、何しよるん?」と笑われる。
それから50年経った。が、土や草で覆われていた田んぼの表面が水鏡に変わる時期が、新鮮に思えて大好きなのは今も同じ。小さな稲はやがて茂って水面を埋めつくすから、巨大な水鏡が楽しめるのは短い間だ。水稲栽培を基本とする日本の農業につきものの、美しい風景だろう。
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