知性と感性

文化・スポーツ

年上の友人のチカちゃんは英語が達者で、若い頃にはバックパックかついでペルーからメキシコ、アメリカまで半年一人旅した、という女傑だ。モーツァルトが大好きで、家に行くとたいていCDがかかっている。

チカちゃんにはアネちゃんという姪がいる。アネちゃんは重度の自閉症で、醤油だろうがコーラだろうが瓶の蓋は全部取ってしまわなければ気がすまない。ペットボトルを家のあちこちで逆さにし、トプトプと中身を全部流してしまう。言葉はほとんど話さない。知的障害も重いのだ。だから、両親に死別してしまったアネちゃんと同居するチカちゃんは大変なのだが、「アネちゃんは可愛い、大切」と断言する。

そのアネちゃんもモーツァルトが大好き。

わたしたちが食卓で話をしていると、アネちゃんはソファでじっとモーツァルトを聴いている。リズムに合わせてアネちゃんの頭は時々小刻みに動き、曲の山場にさしかかると、表情がうっとりしてくる。つまりアネちゃんはモーツァルトの音楽を深く理解し、心から楽しんでいるのだ。

それを見ていると、知性って何なんだろう? と思わざるをえない。

アネちゃんのいわゆる知性は低い。だけど芸術的感性にはものすごいものがある。

「アネちゃんはもう40歳過ぎたけど、もしも小さい頃から音楽を専門的に教わっていたなら、今は優れた芸術家になっていたかもしれないね」とチカちゃんとわたしは話す。もちろん音楽の鑑賞能力と演奏や作曲の能力が一致するとは限らないが、可能性はかなりあったのではないか。以前は自閉症の研究が進んでいなかったから、音楽を教わる環境もなかったのが残念だ。

アネちゃんは人間の能力の多様さと不思議さを教えてくれる。

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