ミラノで乳がん切りました

エッセイ

まどかは42歳、夫の転勤で2男2女とミラノ郊外に住んで丸3年。イタリア語は達者になり、おしゃれに精を出し、アルプスへスキーに行き、オーボエを習い始め、国際クラブの会長をして寿司教室や教会巡りの行事を主宰し、とイタリア生活を満喫していたところ、乳がんが見つかってしまった・・・ イタリアは当時世界トップの乳房温存国だが、とてつもなく万事いいかげん。

ミラノ暮らしと闘病を亭主殿とふりかえって
(標準語と山口弁がミックスしてますが、気にせず読んでください)

亭主 》
アメリカに出張中に乳がんって聞いたときには、ホントに目の前が真っ暗になったよ。

まどか 》
やっぱりショックやった?

亭主 》
そりゃそうだよ。君はまだ42歳だったろう? 進行が速いから生命(いのち)にかかわる。でもまわりに吹聴することでもないし、ひとりで抱えてるのも辛かった。ずっと悶々(もんもん)としてたよ。

まどか 》
Kちゃんエライ、そんな耐え方しとったん? わたしなら誰にだろうと嘆きちらしてるわ。そのあと、Kちゃんが出張を途中で切り上げて帰ってくれたときにはすっごく嬉しかった。

亭主 》
そりゃ女房ががんだと言ったら、すぐ帰ってやれと上司に言われたよ。何をグズグズしてるんだ、って。欧米の方が社員の家族を大事にするからね。日本の会社は社員あっての家族って感じだけど、欧米の会社は家族あっての社員だと考えてる。

まどか 》
ありがたいねぇ。それにアメリカやイタリアにいたときは、いつも6時ごろには家に帰れてたよね。

亭主 》
欧米では効率ってものを大事にするからね。残業は、その社員が効率的に働いてない証拠、って悪いほうに見られる。

まどか 》
その考えがもっと日本で広まるといいのにね。
でも反対から見ると、日本では効率の良さより完璧さを求めるから、何もかもキチンとしてて信用できる。その反面、時々息がつまりそうになる。

亭主 》
何だって100%いい、完全ってことはないよ。人間だから。

まどか 》
その「人間だから」って考え方、いいねぇ。好きやわぁ。
ま、だから今息子がヨーロッパ系の会社に就職してイタリアに駐在しているわけだ。「あの」肝焼き息子がここまで落ち着くなんて、あのころからすると信じられない。でも今から考えると、あの「悪さ」は馬力があったってことかもしれない。

亭主 》
思春期は大変だからね。でも通り過ぎる。で、ぼくはあのとき、君が日本で手術も化学療法も全部やって、そのあいだ4人の子どもたちは親父とおふくろに面倒みてもらって、ぼくはずっとひとりイタリアで仕事してるんだろうなと思ってた。

まどか 》
え、そんなこと思ってたの? なんで?

亭主 》
そりゃ医者とのコミュニケーションの問題。君には無理だろうって。

まどか 》
それは全然問題なかった。

亭主 》
結局はそうだったね。

まどか 》
あ、Kちゃんは仕事が基本的に英語環境やったもんね。

亭主 》
うん。だんだん休憩時間とか、少しはイタリア語もしゃべるようになってたけど。

まどか 》
イタリア暮らしが4年目やったけん、えかった。あれが2年目とかやったらわたしのイタリア語もまだまだで、イタリアで手術受ける自信なんかとてもなかったわ。イタリアのいいかげんなところが頭にくるばっかりで、まるで信用できんかったし。

亭主 》
ぼくは仕事で抗がん剤やってたからね、イタリアの乳がん治療が日本より進んでいるのはわかってた。イタリアで治療できてよかった。あの病院は乳がんに関してはヨーロッパでも指折りだろう、つまり当時世界でもトップクラスだったんだよ。

まどか 》
わたしって超ラッキーだったんじゃん!

亭主 》
そうだよ(笑)。子どもたちも転校せずにすんだし、あんまり動揺してなかった。

まどか 》
わたしはひとりのときとKちゃんの前ではいっぱい泣きよったけど、子どもの前で泣いたりわめいたりしたことはなかったけんね。なんちゅうか、子どもの生活は守らんにゃいけん、て言うたらエライ母親みたいやけど、それより、子どもが不安定になったら自分がもっと大変、っていう自己中心的な理由やね。

亭主 》
それとね、子どもが4人いてよかったよ。母親が具合悪くても家では子どもどうしの世界があるから、そんなには影響されなかった。イタリアに引っ越したときもアメリカに引っ越したときも、近所に誰ひとり友だちがいなくても、とりあえずきょうだいで遊んでたし。

まどか 》
ハハハ、それは言える。あれがひとりっ子だったら大変だよね。母親が病気っていう影響をモロに受ける。子どもが4人もいてまぁ大変、て言われることは多いけど、4人いるメリットは理解されにくい。

亭主 》
それにマドちゃんの友だちがずいぶん助けてくれただろう? 入院中とかずっと夕ご飯持ってきてくれるし。

まどか 》
全部異国の料理やったよね。トルコ人のフリアが持ってきてくれた茄子(なすび)料理なんか、今まで嗅いだことのない独特の強烈な匂いやった。あんたも子どもたちも少ししかよう食べんかった(食べられなかった)よね。あれ何の香辛料やったんやろう。クミンかな? わたし化学療法やってないときに食べたかったわぁ。

亭主 》
ハハハ、それでもありがたかった。

まどか 》
国際クラブ様々やね。

亭主 》
今みんなどうしてるかねぇ? ぼくはどうしてももう一度アレーゼに行ってみたいよ。

まどか 》
ずいぶん変わったらしいよ。リーマンショック以来、不景気で外国人の駐在数が半分以下になって、国際クラブの人数もあのころの半分以下だって。エヴァはスウェーデン、マルティンはフランスに帰って、クリスとカレンもアメリカに行っちゃったでしょ? パトリツィアも離婚してミラノに引っ越したって聞いたし、残ってる友だちはてんで少ないと思う。

亭主 》
でもジャンフランコとダーリーンはいないかな? ジャンはあのとき、ホントによく助けてくれたんだよ。その一方で、がんがあの大きさになるまで気づかなかったのは亭主のお前が悪い、とエライ剣幕で怒られたこともあるけどね。

まどか 》
なるほど、妻の乳がんに気づくのは夫の責任でもある、って、女にマメなイタリア男らしい考え方だねぇ。でも、確かに言えるかも。
あのころダーリーンは家を買いたがってたんだけど、ジャンがどうしてもウンて言わないって言ってた。ジャンの故郷は確かローマの辺でしょ? 何年か前にダーリーンはクリスマスにメールっていうか写真送ってくれたけど、今どこに住んでるんだろうね。

亭主 》
そうだねぇ。ぼくの働いていたところも閉鎖されて、もう別の会社になってるし。でも街そのものはあんまり変わってないんじゃない? このあいだグーグルのストリートビューで見たときそう思ったよ。

まどか 》
あれ見たときは泣きそうになったわ。なんて言うん? 今の田舎暮らしとはまるで違う環境で、泣いたり笑ったり怒ったり一生懸命やってたのが、まとめてこみあげてくる感じ。今日本にいると、「まぁミラノに住んでたの? ステキ!」なんてひとから言われるけど、実際は、とてもステキだったのは事実でも、それと同じくらいとっても大変だった。断じてステキだけじゃない。

亭主 》
ほんと、両方だよ。いろんなことがムチャクチャいいかげんだった。日本人はイタリア大好きだけど、あのいいかげんさを経験してから言って欲しいね(笑)。
ぼくがスーパーで円形の蛍光灯買おうとしたら箱も何もついてなくてさ、はだかで棚に置いてあるんだよ。恐るおそる取ってレジに置いたとたん、ポン! って爆発したし。破裂なんてレベルじゃなかった。

まどか 》
Kちゃん飛び上がったやろ。

亭主 》
そりゃもう。でもレジのおばちゃんは全然たまげてない。落ち着いたもんで、淡々と破片かたづけてた。たぶん蛍光灯が爆発するの、しょっちゅうなんだ。

まどか 》
ひぇーっ。

亭主 》
それ見て、もういっぺんあきれたね。

2人》
ハッハッハッ

亭主 》
それにしてもイタリアのパンが懐しいよ。あのミケッタ、また食べた~い。

まどか 》
ああ、あの中が空っぽのことがある、丸っこくて皮がぶち(すごく)硬いミラノのパンね。

亭主 》
うん、イタリア人はよく皮の硬いところは残して中の柔らかいところだけ食べてたりしてたけど、あの硬いところもね、噛みしめるとうまいんだよ。食欲のないときなんか昼に社員食堂でミケッタとコンソメスープ、サラダだけよく食べてた。

まどか 》
わたしのことでずいぶんKちゃんにも心配かけたもんね。食欲がない時期も長かったやろ。実際、イタリアの食べるものはおいしかったねぇ。で、イタリア人はあったかかった。親切だった。階級社会だからアジア人がボロ着てると「召使でしょ」みたいに見下げられるってことはあったけど。

亭主 》
アメリカ人は何かっていうと自分はオープンマインドだって言って、あれはアメリカ人の価値基準のひとつなんだろうけど、実際はそんなに開放的な考え方をしてるヤツは少ない。イタリア人のほうがよっぽどオープンマインドだよ。

まどか 》
まちがいないわね。その意味でも、イタリアで治療受けてよかった。

亭主 》
うん。そう思うよ。

まどか 》
で、ミラノのひとはみぃ~んなオシャレだった。

亭主 》
林の中を散歩するんでも男性は背広、女性もスーツ。最初は目が点になったけど。ミラノはイタリアでも一番裕福な街だっていうからそのせいかね。

まどか 》
子どもが4人いるとあまり旅行できなかったけど、わたしはローマやベニス、フィレンツェと比べても、街としてはミラノが一番好きだわ。見惚れるほどきれいな建物や彫像、噴水、石畳の通りがたくさんあった。あれは金と趣味の良さの両方があってこそ、産まれたんだなぁ。
でも隣に住んでたおばちゃん、ミラネーゼにしては着るものがあか抜けてなくて、いかにも田舎のおばちゃんっぽかったよね。

亭主 》
うん、例外はいたよ。

まどか 》
あのおばちゃんがイタリア人にしては珍しくすっごいきれいな、イタリアなまりのない英語話したのよ。初めて聞いたとき、わたし犬がしゃべったかと思うくらいたまげたわ。でもさ、今ウチら日本で田舎暮らししてて、わたしも野良着着て草刈りしたりしてるじゃん? そのわたしがビヤーッて英語とかイタリア語とか話すと、ひとはやっぱり、犬がしゃべったかと思うくらいたまげるんやろね。

亭主 》
(苦笑い。でも否定しない) 今とは全然違う暮らしだったね。

まどか 》
Kちゃんのおかげでイタリア暮らしできて、感謝しとります。

亭主 》
はいはい。

まどか 》
そして再発せんで、今も生きとれるんは、運命に感謝やね。

亭主 》
病気は選べない。選べるのは、そこでどう考えるかだけ。これから先も、どうなるかは誰にもわからん。大事なことは、その時々で、悪いことより良いことのほうを見るようにするんだよ。

まどか 》
その楽観的な考えにはすごく救われたわ。どんな苦しいときだって笑えることや嬉しいことはあるから、それを拡大させると、辛さが多少でも減って楽になるよね。これからもよろしく頼んます。

亭主 》
お互いね。

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